【15年の軌跡】ちゃむを見送って気づいた、当たり前の日常という奇跡

コラム

火葬を待つ間、それまでのぐずついた空が嘘のように、太陽がこれでもかと照りつけていた。

まるで「私は大丈夫だよ!」と、ちゃむが笑ってくれているような気がした。

しかし、毎朝リードを持つ手の感触、玄関で待ち構える足音、抱き上げたときの肉球のポップコーンみたいな匂い。

当たり前だったことが、もう二度と戻らない。


ちゃむが旅立ってから、今日でちょうど一ヶ月が経ちました。

日々の忙しさに助けられている部分は正直あります。

騒がしい家族がいてくれて、ちゃむのことに浸る時間もないくらい動いていると、どうにか前を向いていられる。

でも、ふとした瞬間に思い出します。

毎朝写真を見るたびに、本当にいないんだと改めて気づいて胸が苦しくなる。

ちゃむの生きた証と今抱えているこのヒリヒリとした感情を忘れたくない。

いつか忘れそうで怖い。

そして何より、同じようにペットを亡くして自分を責めている人や、いつか来る別れを恐れている人の助けになればと思い、きれいごと抜きの、正直な気持ちをここに書き残そうと思います。


恋人に会いに行くより、ちゃむに会いに行っていた日々

ちゃむ(トイプードル)との出会いは、現在の妻と交際を始めた時だった。

犬を飼いたくても金銭面や仕事の忙しさで諦めていた私にとって、フワフワで小さなちゃむは衝撃的な可愛さだった。

最初は、飼い主を取られたと思ったのか、いたずらをされたり拒否されたりもした。

しかし、それすら愛おしかった。

正直なところ、恋人である妻に会いに行くというより、ちゃむに会いに行っていたと言っても過言ではない。

その気持ちが伝わったのか、すぐに慣れてくれて、遊びに行けばずっと私の腕の中にいた。

結婚前のクリスマス。

妻が不在の日にちゃむと二人で出かけ、蜂の羽がついたリードと赤いセーターをプレゼントに買った。

ボロボロになるまで使い倒したそのリードを捨てる時は本当に悲しかったけれど、それも今となっては良い思い出だ。


夫婦の危機を救ってくれた同志

結婚後、すぐにできると思っていた子どもがなかなかできず、私たち夫婦は余裕をなくし、度重なる喧嘩をした。

そんな時、いつも間に入ってくれたのがちゃむだった。

妻に怒られている私のそばにピタッと寄り添い、「大丈夫だよ!」と言ってくれているようだった。

もちろん、妻が落ち込んでいる時にも同じように寄り添っていた。

あの苦しい時期を乗り越えられたのは、間違いなくちゃむの存在があったからだ。

ちゃむが8歳の時、心肥大の疑いで診断を受けた。

結果的にヤブ医者の誤診だったのだが、死をリアルに感じたことをきっかけに、2匹目の犬を迎えることになった。

マルチーズ9:プードル1と書いてありそうな、ビビりでおバカな妹犬だ。

妹が叱られている時には、「もういいでしょ!」と庇ってあげるような、本当に優しいお姉ちゃんだった。

妹が増えて独占できなくなった分、我慢させていた部分もあったと思う。

今振り返ると、少し後悔している。


ちゃむがお母さんになった日

その後、しばらくして子どもを授かった。

しかし、妻のお腹が大きくなるにつれ、ちゃむの様子が変わった。

常に何かを警戒し、他の犬が妻に近づくと牙を剥く。

獣医さんに相談すると、「群れを守ろうとしているんでしょうね。」と。

そして、さらに産後に信じられないことが起きた。

ちゃむのお腹を触ると、乳首から母乳が出ていた。

「新しい命を育てないと、と思っているのかもね」と先生に言われた時、その責任感と愛情の深さに胸が熱くなった。

甘えん坊だと思っていたちゃむは、ずっと家族を守ろうとしていたのか。


老いと介護、きれいごとじゃないリアル

子どもが生まれ、どうしても人間優先の生活が始まった。

ずっと妻と一緒に寝ていたちゃむは、急に引き離された。

どれほど寂しかっただろう。

15歳になり、心肥大・気道の狭窄・腎臓の悪化で薬漬けの日々が始まった。

この頃から、ちゃむの性格が変わったように感じた。

異常なほどの食欲、テーブルの下でのしつこい待機。

育児と仕事で余裕がなかった私は、ひどくイライラしてしまった。

大声を出してしまったこともある。

今の性格なら、死んでも悲しくないんじゃないかとすら思ってしまった。

最低だけど、ちゃむのことを負担に感じてしまっていた。

飼ったのは自分なのに。

今思い出しても、後悔と自己嫌悪で胸が苦しくなる。


突然の別れと、震える手

最期は急にやってきた。

散歩から帰って足に力が入らず、叫びながら倒れた。

あれほどあった食欲もなく、水すら飲まない。

名前を呼んでも来ない。

翌日、仕事でどうしても抜けられない私に代わり、妻が病院へ連れて行った。

仕事の合間にふと見たスマホに、妻からのLINEが浮かんだ。

「ちゃむがしんだ」

頭が真っ白になるとは、こういうことだった。

自転車の鍵が震えて、何度やっても開けられなかった。

猛スピードで帰宅すると、まだ温かいちゃむがいた。

ぐにゃぐにゃに柔らかい体を撫でながら、まだ起き上がってくるんじゃないかと本気で思った。

火葬の直前まで、ごわごわした毛の感触を、肉球のポップコーンのような匂いを、記憶に焼き付けた。

お骨拾いでは、しっぽの骨は星型、爪はハートに見えるんですよと教えてもらい、その可愛らしい骨をキーホルダーに収めた。

最初はずっと二人っきりだった妻とちゃむ。

最期も大好きだった妻と二人の時を選んだのかなと思う。

ちょっと寂しい気持ちになるけど、ちゃむは妻と二人で出かけることができて嬉しかっただろうな。


一ヶ月が経った今の正直な気持ち

今は考えないようにしているというのが正直なところ。

今ブログを書きながら胸が苦しくなる。

この気持ちはいつまで経っても変わらないだろうと思う。

苦しくもあるけど、ちゃむを忘れることもないから嬉しくもある。

会えないからやっぱ苦しいけど。

日々の忙しさに救われている。

家族がいて、やることがあって、動いていればどうにかなる。

無意識に悲しまないよう予定を詰め込んでいるのかもしれない。

でも写真を見るたびに、現実を突きつけられる。

本当にいないんだと。もう抱っこできない。一緒に散歩できない。

玄関を開けても、あの足音はもう聞こえない。

何度確認しても、その事実には慣れない。

きれいごと抜きで言うと、毎月の医療費や手間から解放されたとホッとした自分がいたことも事実だ。

でも同時に、思い出すたびに胸が苦しくなる。この二つの感情が、今も並んで存在している。

見た目がずっと変わらない可愛い子だと思っていたけれど、今思えば、寝ている時間が増え、散歩もゆっくりになり、白い毛やシミもたくさん増えていた。

ちゃんと歳をとっていたんだな。


当たり前の日常という奇跡

この別れの瞬間がずっと怖かった。

でも実際に経験してわかった。

いつか来る別れは悲しくて辛い。

でも、それ以上に、一緒にいられて良かったという気持ちの方が圧倒的に強い。

辛いのは、それだけ大切に愛していた証拠だ。

トータルで見れば幸せの方がずっと多いから、人はそれを乗り越えられる。

そしてきっとまた、新しい命を迎え入れたくなる。

ちゃむが私に教えてくれたこと。それは、当たり前にいた存在、当たり前に過ぎていく毎日が、かけがえのない奇跡なんだということだ。

毎朝リードを持つ手の感触。玄関で待ち構える足音。抱き上げたときのあの匂い。

当時は何も思わなかったそのすべてが、今は愛おしくてたまらない。

100%後悔がないかと言われたらそんなことはない。

でも、手作りご飯・毎日の散歩など、やれることはやれたと思っている。

それはちゃむだけじゃなく、自分自身も同じだと気づいた。

病気になった時に、後悔しないように、普段から運動や食事など、生活習慣を整えておきたい。

いつ何が起きるかはわからない。

でも、その時にやれることはやっていたと思えるのか、後悔だけが残るのかは、大きく違うと思う。


パートナー、子ども、親、ペット、友人。

あなたにとってのいて当たり前の存在をどうか大切にしてほしいと思います。

一緒にいられる今この瞬間に感謝して、たくさん言葉を交わして、めいっぱい可愛がってあげてください。

ちゃむ、15年間ありがとう。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE
目次